自分の存在を認めることは簡単なようでとても難しい
このチームを作り、活動していく中で学んだ1つのことが
自分のことどれくらい知っていて、自分のことをどれくらい認められる?
ということが大事だということ
みんな自分の嫌いなところ、ダメなところはよく知っている
でも、自分の良いところ、持ち味は中々胸を張って語れない
そんな日本の風潮の中で育っている私もみんなと同じで、自分を中々認めることは出来ない
周りでは私のことを
しっかりしていて、何でも出来て、とても社交的で、強くて…って
そんな有り難い評価をしてくれている人が多いと思う
それが良くも悪くもですが
でも、本当の私は真逆かもしれないなー
とっても人見知りだったし、とっても傷付きやすいし、とっても悩むし…
でも、生きていく中で、その時その時に
それではダメだ
と思う瞬間があって、社交的になろうとか、強くあろうとか思ったんだと思う
実際に友達が出来ずにマズイと思った瞬間ははっきりと覚えている
中2に上がる前
1年間通ったのに1人も友達が出来なかった
たくさんの友達に囲まれる子達を見て学んだ
今でも同じで、社交的なママさんを見ては学ばせてもらっている
こうして、今では誰一人として
私に対して
人見知り
と思っている人は居ないんじゃないかな
私の社交的はスキルであって揺るがない
こうやって、常に成長して、不得意でマイナスだった部分を今では強みに出来ていたとすればそれは自分の良いところであるのかなと思う
そして、このチームに居る一人として思うこと
このチームに貢献するためにやる仕事・行動は誰かに言われてやるのではなく、自分で見つけていき、自ら行動していくことが大事で、評価はいつか周りが勝手にしてくれる
良くも悪くも
そこに居る存在意義は自分で見つけ、胸を張ってそこに立てば良い
誰もが必要としていない人は居ないのだから
あなたが必要だから、ここに居て欲しいとお願いされないと居れないのではなく
自分がここに居て何をしてあげられるのかを考えれば良い
そして、動けば良い
たくさんの人が関わっている
良い意味で1人として同じことをしていない
向かう方向は同じ
たまに脱線する人も居て、ワチャワチャする
そして、悩み、考え、行動する
気付いたら少し成長している
ぶつかり合ってワチャワチャするのを避けていると、分かり合う機会を失う
子どもはワチャワチャしている
ケンカして、時に殴り合ったり、言葉を選べずに傷つけてしまったり、でも仲直りがすぐに出来て、結局相手のことが大好きでまた遊ぶ
ちゃんとぶつけ合うから根に持たない
最高の生き物達w
この子達を見ていると
置いてきてしまったものがとても輝いて見える
でも、その置いてきてしまったような何かをやり合ってくれる仲間が今の私には居る
ワチャワチャしたときはしんどかった
でも、やっぱり分かり合えた後は以前より分かり合えてるはず
その時、お互いに
ここに居て良いのか?
ここに居るためには自分は何をしなきゃいけないのか?
そして、ここに居て良いんだと自分の存在意義を見つけたんだろう
そして、お互いを評価し合う
この人、最高っ
って
それで良い
なつき監督