よく見ないと出来ないこと

その子の最適なタイミングで叱るのか(叱るというか強く居てもらいたいがためにわざとそのような言葉を掛ける)

それとも頑張りすぎているからゆるめてあげる言葉を掛けるのか


それは"よく見ている"人にしか出来ない


よく分かりもせずにその時の感情や雰囲気に任せて言葉を吐く大人も居るが

それはその子に少しも響かない


だから、見もしない大人には何も言わせない


よく考えたら当たり前のこと



我が子が可愛いからいつも守るようにする

時に大事なことではあるが

タイミングを見失ってはいけない


何でもかんでも手を貸すことが最善ではない

むしろ、手を貸さず見守ることの方が最善である確率は高い


泣いても良い

失敗しても良い

学べば良い


経験こそが何よりの学びであり

身になっていく


経験なくして身になることなどない


大人になっても間違える

時に人を傷付ける

反省する


それしかない


何にも触れないように生きていけばお互いに傷は付かない


でも触れていき

時に傷付くこともある

これしか成長出来る方法がない


涙なしに成長してきたはずもない

その時に助けられた経験が本物の優しさとなる


優しさを履き違えてる人が多いと思ったこともある

自分は優しくないと思うこともある

自分は芯(真ではなく軸)の優しさを持ってると思うこともある


何かを真剣にやる時に

当たり障りなくなんて出来ない

未熟だから出来ないのではなく、本気だから出来ない部分もある


何で泣いたのか

"見ていれば"分かる


言葉を聞かなくてもたいてい分かる


悔しかったね

とか

痛かったね

とか


でも、そこで

「まだやれるんじゃない?」

「もうやれないよね」

上手く使えるのは

やはりいつもきちんと"見ている"人


なつき監督